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残された時間を切り売りして働く人生からの脱却

父の残した60年分の日記が教えてくれた宝


父は膀胱癌から腎不全を起こし92歳で亡くなってしまった。

家の整理をしていると60冊の日記にであった。


と言っても在るのは知っていたが中身を読むことはなかったので

それまでは単なる本棚にある置物程度でしか認識はなかった。



終戦後、21歳で故郷に帰り日記を書き始めた。


小生が物心ついた頃からそんな姿を見ながら、内容は全く気に留める事もなく、

夕食から寝る前の時間を利用して習慣化していた。


たまに父の膝を組んだ上に載って日記を覗きながら、ペンを走らすのを

眺めていたことをしみじみ思い出す。



 小生にとって気になる事があったのでその年の日記をめくっていたら

あった!












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便潜血陽性 大腸検査 [健康]

2年前ほどになるか、PSA検査で数値7が出た事で、看護師さんに

心配されて再検査を促されていたが、仕事を休んで、金を使ってまでの

再検査に気が乗らず、つい延び延びになってしまっていた。



母のケアの為、母の実家の近くの職場を紹介してもらい

都合よく就職することになった。



しばらくして、その職場で行われた健康診断に行くことになり、ちょうどいい機会なので

オブション検査としてPSA検査があったので自費2,000円を払い、検査してもらった。



2週間後、結果をもらいなんと診断書にはPSA数値は0.4となっており、全くの正常値。

医師から何か知らせがあると覚悟していた事は一瞬にして消えてしまった。



ところが、今度は便潜血の陽性が出ていた。

おまけに胃の検査では少々の収縮性胃炎の症状あり。




そして腸の内視鏡での再検査の要請を受け一難去ってまた一難。

職場に報告して、一月先に1日の有給休暇を取って腸の内視鏡検査をするようになった。



電話で病院より、前もって検査の説明を受ける為、半日来院するようにとの事。


そこで言われたのは

万が一の為の為の確認事項を言われ、これは手術の際の

注意事項に似ていた。


そして更に


検査日の2日前から夜8時に下剤を飲む事。

繊維質のある食事を前日から控える事等々。


元々便秘体質の小生でも、自宅で飲んだ2回目の下剤はよく聞き、久しぶりに

スッキリした気分になって当日朝8時30分前に病院へ行った。



そこで一人用の個室があてがわれて説明を受けた。


2リットルの下剤を2時間かけて飲み干すとの事。



前もって説明を受けていたので驚きはなかったが、これは体に吸収されない

薬なので別に水分をる為に500㏄のベットボトルのお茶を最初の1時間で

飲むように言われた。



大腸がきれいになるまで8回程便を排泄するようだ。
8回目の時トイレの水を流さないで看護師を呼ぶようになっていて
その段階になると濁りもなくなっているとの事。


どんな状況を通過するのかあらかじめユーチューブで動画を見ていたので

だいたい昼前には大腸検査が終わるようだと予想はしていたが‥‥。



10時前から薬を飲み始め、やがて1リットルを飲み干した。

しかしほとんど便意が出てこない。



看護師さんも確認に来るが、運動したり下腹をもんで下さいと促される

のはいいが音沙汰がない。



何とか11時過ぎてから1回、その20分後に1回トイレに行って少し排便。

8回どころか一つの目安の5回も難しい。



昼前には2リットルの薬も、お茶も飲み干し気持ちは焦るのみ。


看護師さんに下剤のお代わりを尋ねたところ、これ以上はダメなんですとの事。



時は午後2時を過ぎ、腸がきれいにならないならもう検査は断って

帰ろうとも思い始めていた頃、担当医師は焦っていたのか、


とうとう浣腸しましょうとの事で予想もしなかった事になり

否応もなく、なすがままベッドに海老状の姿になって差し込まれた。



この感覚は子供の頃、母親にされたことがあるが恥ずかしいやら、情けないやら複雑な心境で

5分間力を入れて出さないで下さいとの事。

貸してくれた時計とにらめっこしながらその時を待ち排泄した。



ジョージョーと音を立てて出てきたが後でのぞき込むと濁りがあるようなないような。

看護師さんを呼び、見てください!これなら大丈夫でしょうと言わんばかりであったが



看護師さんは「まだ濁ってますね」と一言。

「これで何回目ですか?」 と尋ねられ「5回目です」と答えた。


看護師さんは「まだ5回ではねぇ〜」


もう今日は諦めようと覚悟していた時。

よっぽど焦っていたのか


看護師から「担当医が検査に入りますと言っているので検査代に来て下さい」と言われ


やっと検査にたどり着いた。

点滴に麻酔が入れているらしく説明を聞いているうちに

いつの間にか十数分が過ぎ気が付いたら終わっていた。



時計を見ると午後3時を過ぎていた。



ポリプが見つかればその場で取ると説明を受けていたが無かったのか?

しばらくして呼び出しがあり担当医師の元へ



「お疲れ様でした、これといった症状はないですよ」 

と言われながら画像を覗いてみた。



今まで腸の画像を目にしていたので珍しくはないが

つくづくこれが小生の腸の中なのかと見入っていると



担当医が

「これは土産に持って帰ってください。

次の検査は3年先くらいでいいでしょう」

との事。



それにしてもまだ不安は残る。


あの便潜血陽性は、

胃からなのか?

それとも痔からなのか?


年を取るほどに健康に気を使ってしまうのは小生のみではなく

事あるごとに話のネタは体の具合がほとんど。

とにかく体をいたわる事に気をもむ毎日だ。






















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知らなかったPSA検査と前立腺癌のつながり [健康]

【PSA数値が意味するもの】


今から3~4ヶ月前だと思う。

突然、排尿中に尿道に痛みが走った。
それも用を足している時だけ。
その時はさほど気にかけなかったので

明確な時を覚えていなかった。


焼けるような痛みといったところか?

しかし、2,3日でその痛みは引いてしまった。

その痛みが最近また出てきた。


今度はもっと奥の方、膀胱に近い箇所だと思う。

また痛みは引っ込むだろうと思っていたがそうもいかず

今度は匂いも僅かに漂うようになった。


さすがに不安になりネットで調べてみると

腎不全、膀胱炎、前立せん肥大などが目についた。


尿の色はいつもと変わらず、出も悪くないので

そんな状況まではないだろうと高を括っていた。


ただ、自己判断は禁物なので専門医に診て

もらうようにということで重い腰を上げて

時間を作り泌尿器科の門をたたいた。


渡されたアンケート用紙を書いて

受付に提出すると、尿検査の紙コップ

を渡された。


三分の一程度入れて提出。

コップに入れて初めて気づいた。


いつもよりはっきり匂っている。

そして濁りもかすかに認められた。

垂れ流しの状態では異常は分かりにくいものだ。


次の検査が待っていた。


「前立腺の検査をしますよ、


ベットに上向きに寝てください」と。

医師はおもむろにゴム手袋をして肛門へ。


先生「痛くありませんか?」

私「痛くありません」


前立腺の検査にこういうものがあったなあと

思っているうち終わった。


今度は、前立せん検査の一部始終を

観ていた看護師さんが血液検査。


終わってみたら恥ずかしさも何も

なくなっていた。


やっと終わって出された請求書が8千いくら。

簡単な検査と薬をもらう位だから、と思っていたら

この金額。


ポイント制になっているのでいまいち

この金額は素人には良く分からない。



調剤薬局で薬をもらって説明を受けた。

今日から1週間、抗生剤を夕食後一粒。

漢方薬を毎食後一袋との事。


何と次の日あたりから尿道の違和感

が無くなってきているのが良く分かる。


3日め位になると何も異常が無くなった。

やはりネットで言っていたように

抗生剤はよく効きます。


もっと早くに行っておけばと思った

けれど後の祭り。



1週間が過ぎて再び病院へ

いつもの尿検査をしてから

血液検査の結果待ち。


声がかかり、いよいよ何を言われるか?


先生「以前の尿には少し血液も交っていたが

それは無くなってよくなってますよ!

ところが、PSA値が高いです」と。


私「PSA?」

初めて聞く言葉に興味半分、不安半分。


先生「これは前立腺癌を特定する数値です。


貴男の数値は、7,69あります」

これはまだグレーゾーンですから、そうと決まった

訳ではありません。


しかし後から、看護師さん、調剤薬局さんからは

「びっくりしたでしょ? がっくりしなくても

いいですからね」

など励ましのつもりか!

かえって不安になってしまった自分。


前立腺の炎症などが影響する場合もありますから

これから4か月間程様子を見ましょう」


との事でエルサメットS配合錠なるもの

をいただいて現在養生中。


10月に再検査でどうなっているか?


 ※尿の異常を観るには、排尿中では良く分からないです。

  くれぐれも紙コップで取って濁り、匂い等確認し

  認められたら泌尿器科で観てもらうことが一番ですね!

 













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歯槽膿漏の悩みが解決 [健康]

3年ほど前、左上の奥歯の根元が痛みだした。

頬骨の下を抑えると激痛が走る。


物を噛むこともできない。

虫歯でもないのにこの痛みは経験なかった。

それが2~3日続いた。


しばらくして、左上の奥歯の歯茎が

落ち込んできている、と言うか

痩せてきているのに気付いた。


きっかけは患部の奥歯に横のラインがある

のが舌で感じるようになったから。


後でわかることだがそのラインは元の

健康でいた時の歯と歯茎の境目の

ラインである事が分かった。


最初は何が原因で横筋ができたか

理解できなかった。


それと同時に、その奥歯が長く

現れてきており、同時に歯と歯の

隙間が大きくなってきている。



以前から歯槽膿漏になると


歯が浮いてくる。

長くなったように感じる。

歯の間の隙間が大きくなる

歯がぐらぐら動くようになる。

そして最後に歯が抜けてしまう。


と聞いていたことが現実問題として

わが身にふりかかってきた!


そうこうしているうちに痛みは

なくなり自分流のケアで通していた。


歯科医に行く決断もできないまま時が

過ぎていったが、あるときその歯が

また痛み出した。


今までの歯の痛みは虫歯の痛み

が常だったがこの痛みは違っていた。


歯の奥が痛む、そして何より頬骨の下が痛む。



たまらずもう抜いてしまおうと思って

歯科医に行った。


レントゲンを撮ってみるとなんと

歯を支える骨が溶けてきているとの事。


先生が言うには、かみ合わせが上手く

いかず痛みが出てきている可能性もある

との事で、なんとその歯を削るとの事。


理由は、患部の歯を支え固めていた

歯茎が衰えてくるとその歯は周りの

歯よりも浮き出てくるのでかむとき


圧迫され続けて歯根が炎症を起こし

ている事も考えられると。


抜く前にこの処置をして様子を見て

みましょうとの事であった。


あれから、すでに数か月たつが

先生の見込みは正しかった。


痛みがなくなり、かみあわせも

スムーズになった。


あの時抜かずにほんとによかった。

歯槽膿漏のもとになるプラークの


取り方も看護婦さんにならって

続けている。


今では液状歯磨きで毎日口腔ケアを

しているが、歯がこんなにも艶が

出てくるものかと感心しきり!


この年になってやっと本気になれた。

両親がやっていた総入れ歯だけは避けたい。


30年前に、いや10年前でもいいから

早くやっていればこんな悩みは無かった


のにと思いつつ、自分は痛みを伴わないと

悟れない愚かな存在かとつくづく思う。











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母の胃癌発覚 [健康]

父の膀胱癌を原因とする腎不全の死から3年になろうとしている

2018年も明けて2月。


従兄弟から電話があった。

母が胃の検査をしたところ癌らしきものが見つかったとの事。


健康が取り柄の母が?

最初は信じられなかった。

母はいつも今まで入院した事がないと自慢していたが・・・。

次の週に実家に帰って様子を聞いてみた。


母は、何日か前、みぞおちあたりがチクチクしていたと。

その日の内に行きつけの医者に電話し、検査の予約を取ったとの事。


しかしその痛みはその時のみで、一時的な事だったようだ。

検査の予約も断ろうと言っていたくらい。


小生は、ひとまず安心して帰ったが、後日、母が検査の断りの電話したところ、

担当医から念のために診といた方がいいよと言われたらしく、

予約は予定通り行われる事になった。


胃カメラを飲んでの検査。

初めてのことで要領が分からず、

なかなか喉を通らなかったらしい。


看護師さんからごっくんして下さいネと助言され、

ようやく喉を過ぎた。


検査の結果、胃の上壁にそれらしきものが見つかり、

念のため細胞を取って検査に出したとの事であった。



数日後、病院から知らせがあり、やはり癌に間違いなかった。

このままでは、東京オリンピックを見ることができるか

どうかだねとの事。


医者からは、手術を勧められ、内視鏡手術ではなく、開腹手術でもなく、

腹腔鏡手術で3分の2を切除らしい。


紹介状を書いてもらい、手術前提で更に大きな病院で再検査。

この時、心臓に緩い弁が見つかり循環器系に黄色サインが出てきた。


先生は大丈夫の判断だったが、89歳の母は温存治療を選んだ。


父の時も、膀胱摘出か否かで迷ったが、

今回も、さんざん家族間で迷ってしまった。


母は自分の好きなことを最後させてほしいとの事で、

家族も母の判断を優先した。


これまでに癌を患い、治療に専念している友人や知人が多くいるが、

すでに亡くなった方も多い。


病を通して自分の生きざまに向かい合わざるを得ない状況に

突き落とされる。


本人にしかわからないこの境遇は、自分にも何時起こるとも限らない。

今後母と共に、癌と共存していく自分でありたい。



































タグ:癌と共生
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父の血尿 [健康]

2014年の10月の末、父親がつけている
オムツに血尿がついていたと母から聞いた。
最初発見したときは血の柔らかい塊だったとのこと。
原因を聞いてもわからない。
昨夜風呂場で滑って、横腹を打ったのが
原因だろうかと母は言う。

そのうち2、3日で終わるだろうと、おさまる
のを待っていたが量は少なくなったがまだ
尿に血に混じっている。

なにか原因があるはず、と行きつけの町医者に
診てもらうと、レントゲンにうっすらと尿管から膀胱の
入り口付近に直径4センチ前後の塊が写っている。

先生が答えるには、専門医に行って
詳しく見たほうがいいです。
もしかするとこの影は癌かもしれないですねとの事。

今まで父親を苦しめていたのは、脊柱管狭窄症という
症状で長く歩けないことだった。
農業現役のころから腰を酷使してきた生活環境の中、
母が夜、いつも父の腰にサロンパスを
貼ってあげていたのを覚えている。

水田や畑の見回りに近くを回って帰るのが精一杯
の状態で、車の運転も数年前にやめていた。
腰痛との付き合いは、父にとって今後避けられない
と本人も家族も観念していたが、
ここにきて大きな転機となってしまった。

九十才になって今まで全く予期もしなかった
癌が膀胱にできていたとは!

泌尿器科の専門医を尋ねたところ、膀胱摘出を
勧められたが、この年になって摘出は大変だろう
と断り、治療を受けないとなれば在宅治療となり、
母への負担が重くなるが、父は家方に居る方が
気が休まる。

我々子供たちは父の病状が気にかかり、
母の負担も心配になってくる。

そうこうしていたある日の夜、
「父ちゃんが苦しんでいる」と母から電話がかかり、
帰るまで時間がかかるのでとりあえず近くの
親戚に電話をして救急車を呼び、夜中に
病院に駆け込んだことがあった。

こんな苦しみはさせられないと、
もう一度断った先生に入院を願い出たが、
膀胱を取らない以上はうちでは
面倒見ることができないと言われた。

理由はこのままでは必ず尿管がふさがり
腎臓不全になるとのこと。
わかりやすく図解して下さりよく理解できた。

しかし、膀胱摘出は避けたい。
その後も、免疫治療を考えたり、癌に効く
漢方食品を取り入れたりの在宅治療がまた続く。

癌を発見して8ヶ月後、父の食欲が急に落ちてきた。
もう3日程になる。
近くの行きつけの医者に見てもらうと先生は、声を
唸らせ「腎臓の機能が良くない、すぐに
透析しないといけない状態だ」との事。

紹介状をもらって泌尿器科の専門医
の治療を翌日受けるようになる。 

朝から検診が始まり血液検査、そして
尿検査と続く。困ったことに尿検査で尿が出ない。
父は絞りだすように息むが出てくるのは血液だけだった。

検査後の説明によると、とにかく透析が必要で、
直接背中から穴を開けて腎臓に管を入れるとのこと。

しばらくして先生からの報告があり、腎臓に針が
入らないということでこれは諦めるしかなかった。

次の日、足の付け根から入れるという。
今度はなんとかうまくいき、全血液の3分の1位か、
とにかく全部の血液を透析するのは無理がある
とのことであった。
一段落ついてその日は帰った。

次の日の朝、着替えを持って病院へいく。
しかし帰りに先生から呼び止められ、「昨夜、お父さんは、
息が上がり、血尿もあり、血圧が下がってしまい、
この状態だと透析は出来ない。

そして、この3日間どうなるかわからないので
親戚には知らせておいたほうがいいですね」と。

この日の夕方、近くの親戚の集まった中で
息を切らせながらの父だったが、最後の
言葉を交わすことができた。

いつかこの日がくると想像はしていたが、ついに現実となった。
多くの思い出、教訓を残してくれた父だった。

虫歯 [健康]

父の教訓

小さい頃から父親の好みにあわせてか

甘党に育った小生は、

回転まんじゅう、かき氷、羊羹、チョコレイト

 キャラメルなどが大好物だった。


小学生の頃は菓子パンが好きで

よく夜食のとき食べていた。
そのためか虫歯に悩まされ

 よく歯医者にお世話になった。


当時幼かった頃は、麻酔の技術も今ほどではなく

とにかく痛かった。

虫歯というくらいだから

 

磨かずにおいた歯は虫が住み着き

 

その虫が歯をかじっていくので穴が

大きくなってしまうくらいに

思っていた小生であった。

 



事実

物心着いた頃歯医者にお世話になったとき

奥歯にドリルを入れて穴を開けていく。

 

それは頭を突き抜けていくかのような

痛さで今もよく覚えている。



そして適当な穴を空けたかと思うと

今度はピンセットを突っ込みグルグル回し始めた。

 


これはもうあごがまるごと

削られてしまったのではないかと

 錯覚するくらいの痛さだった。

 


そして

そのグルグルが終わると

いきなり引っ張り出した。

 



先生が言う

「ほら、こんな虫が歯の中にいたよ
これが悪さをしていたんだね」

とピンセットの先をおもむろに

 目の前に持ってきた。

 

 

その先には細いミミズのような

糸くずのようなものが挟まっていた。

 


今になって思えば

それは虫歯から抜き取った

神経だったのだろう。

 


その痛みは今も

トラウマになって

歯医者にお世話になる時は

 特に、歯を削るときは手に汗を握っている。

 

 

因みに、現在は技術が進み

あまり痛みを感ずることはないが・・・。

 


両親はやはり虫歯に

悩んでいたのであろう。

 


小生に小さい頃から歯磨き

をせんといかんと言い続けてくれていた。



しかし、どうも歯ブラシを

口に入れるとなんとか反応とかのために

‘オエー‘ となったり

歯磨き後の舌の味覚

が変わってくるのが嫌で

なかなか習慣にならず

今日に至ってしまった。

 


両親は共々総入れ歯で

特に父は入れ歯が合わず

固形物は噛めなかった。

 


最後の入れ歯を作ろうと

行きつけの歯医者に

頼んでやっとできた。

 



これから食事が楽しめると

思っていた矢先、病気が発覚し


入退院を繰り返すようになり

半年でこの世を去ってしまった。

 


とうとう新しい入れ歯は

使わずじまいで終わってしまった。

 



歯の健康は人生の健康

と言っても過言ではない。

 


「何事も気がついたときは遅い」

 が口癖だった父。

 


自分は父が見せてくれた

ことを教訓に、歯磨きをしようと

やっと心がけることが

できるようになった。

 


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チョボとトラ [ 癒しの猫]

チョボとトラ

実家に迷い込んで住み着いた猫が1996年、子猫を3匹生んだ。
あまり小生になれないまま育った母猫は、人目のつかない家の隅で子猫を育てていった。
子猫はこまめな世話をするうち、母猫と違って小生になついてきた。

しかし、事情により実家を離れるようになった小生は猫に関わることができなくなった。
一月に一度帰れればいいような状況で、子猫は段々成長していったが、母猫は事故で死んでしまった。
また、3匹の子猫のうち2匹は引き取られ、残ったのは白と黄土色のまだらの猫。
名前は父の命名でチョボと名付ける。

時が経つにつれ、この子猫は昔の面影がなくなり、なれない人間には恐れをなし人影を見ると逃げてしまう。野生味を帯び、裏庭に行っては木陰から雀を狙って捕まえてくる。よく母親のところにはその獲物を咥えてきて自慢そうにしているとのこと。

時が経って、そんな我が家にまた猫が舞い込んできた。
かわいい手のひらに乗る子猫で人慣れしている。寅年に来たから名前はトラと名付けた。
二匹になった猫は仲がよく育っていった。

チョボの方は、我が家で生まれてからもう20年になる。人の年齢に換算して見れば大方100歳か?そういえばだいぶ体が細くなってきたようだ。体も軽い、栄養が摂取できているのか不安にもなる。
この年では固形のエサを食べるのも大変なのではないかと、マグロ
とカツオのレトルトの餌を混ぜてあげるようにした。

ところがこのレトルトの餌をよく食べる! たまに帰ると、餌をねだりに来る。
今では、車の気配を感じるとどこからか姿を現す。満腹になると地面
に伏せて背中をさすって欲しいとせがんでくる。今では子猫の時に逃げ回っていた時と違って
年老いてからのチョボとは暖かい絆が結ばれている。

一方、トラはますます血気盛ん、木に登ったり家の周りを駆け回っている。
食欲も旺盛で、チョボが食べていると必ずどこからかやってきて喉を鳴らしながら食べる。

昔飼っていた猫は家の上に上げ、家族のように過ごしていたので、寝るときも一緒、
小生の部屋は屋外にあり、寒い冬などはいっしょに寝ようと戸口で鳴いて知らせる。戸を開け中に入れると、喉を鳴らしながら入ってきたものだ。

現在のスタイルは、毛が家の中に散らばると掃除ができないという理由から、原則上に上げないようにしている。昔の猫からすればスキンシップが足りないのが物足りない。
情の絆を結ぶ第一歩はやはり餌によるしかないのか。

昔は人間の食卓から残ったものをやっていたものだが、現在は犬と猫の
ペットフードなるものができて便利になったものだ。
犬と猫のフードの使い分けはどこに違いがあるのか、気になったりもする。

ドジョウの命 [生き物の強さ]

ドジョウの命 

父と小さい頃よく近くの小川に

ドジョウすくいに行ったものだ。

竹を編んだ楕円形の籠を持って水草に覆われた幅

1メートル前後の小川の中をさかのぼりながら、

ドジョウの住んで居そうなところの先に籠を立てかけて、

その中にドジョウを足で踏みながら追い込んでいく。



小生はすくい上げたカゴの中からドジョウを拾い上げ、

ぶら下げているバケツに入れるという流れ。

 


籠を水からすくい上げてから泥水がかごの

隙間をぬって流れ落ちていくうちに、獲物の姿が現れてくる。

 



ドジョウをはじめ、フナやオタマジャクシ、イモリ等々、

今度は何が取れているか? 


籠の中の泥水がはけるまでは何が入っているかわからない。

 


その瞬間に味わう興奮は今も脳裏に焼き付いている。

 

1時間もすればほぼバケツ1杯になる。


農作業の合間に、なんでそこまでやるのか、

ドジョウ汁を作る為である。

 


味噌味のドジョウのだしの効いたうどんは格別。父はそれが大好物だった。


その父も病に伏せ食欲も少なくなった。


秋も深まりつつある頃、父に元気づけのため、

従兄弟が父の為にドジョウを、養殖している店から買ってきてくれた。

 



母はさっそく料理にかかり、懐かしい香りが家中に立ち込めてきた。

小生もその恵みにあずかり昔を思いだした。父も同じではなかろうか。

 

昔と今を結び付けてくれるドジョウの命。

次の日、母が「あらま!ここにもう一匹いる」

ドジョウが流し台の穴に残っていたのだ。


生きている! 一匹だけを料理するわけにもいかず

どうしょうかな?

みんなでしばらく考えた末の結論は、

玄関にある金魚の水槽にとりあえず入れよう。

 


ということで食用から観賞用となったそのドジョウは、

今も元気で大きく育っている。



このドジョウの命は今後、

我が家庭に何をもたらせてくれるのか?


少なくとももう食べる気にはならない。

 


突然のぎっくり腰 [健康]

突然のぎっくり腰

暑い夏の休日の早朝、田舎からもたった米の中に米食い虫がわいていたのを見つける。
早速ベランダにでて新聞紙を敷いた上にコメを広げ虫の選別にかかる。

黒い虫に集中して腰をかがめたまま約1時間。やっと選別が終わった。しかし、曲がった腰はまっすぐにできず、うつ向いた姿勢になって中腰のまま洗面所に行って顔を洗った。
そしてタオルで顔を拭き背伸びをした瞬間「グキッ!!」 腰に激痛が走る。おかしい!こんな痛みは初めて、しばらく腰を休めようと思って上向きに寝る。

そうだ、こういう時は温めたほうがいいかもしれないと素人判断で腰を温めてしまった。これが良くなかった。ますます痛みは強くなり寝返りさえもできず、ついには咳をすることも、笑うことも腰に響いてくる。クシャミなどはもってのほか。

夜になると不安が襲ってくる。体の自由がきかない、このまま寝たきりになるのだろうか?
大きな手術が待っているかもしれない。いや手術で治ればありがたい。
自由のきかない体になった人生に向き合わなければならないのだろうか?

今まで考えたこともないような思いが襲ってくる。しかしよく考えてみるとぎっくり腰で人生に支障をきたしたという話はあまり聞かない。大手術をしたという話もたまに聞くくらいだ。

 妻に腰痛に関する本を買ってきてもらう。
その内容を食い入るように読んでいくとなんと80パーセントは手術なしに自然に治ると書いているではないか。自分が味わっている痛みを考えれば、書いていることは本当だろうか、信じられない。

しかしその言葉に頼るしかない。とにかく信じてみよう。
さっそく本の書いているような姿勢を保ち、休んでいると、3日後位から壁づたいにトイレに行けるようになった。一筋の明かりがさしてきた。
7日目あたりからなんとか歩けるようになり、痛みが引くまで一月あまり。

人間の体とは理にかなったことをすればこんな痛みも自然に治癒していくのか、心配は吹っ飛び、感動すらおぼえることができた経験だった。

後で考えると、そうなった原因は朝起床間際に虫を捕るためかがみこんだこと、そして痛み始めた矢先に腰を温めたこと、この2つが原因。
しろうとの考えることや、やることはなんと理にかなっていないものが多いことか。

この経験をもとに自分の体の仕組みや管理の仕方を学ばなければこの先どんなことがあるかもしれないと仕事の合間に整体の勉強を始めることとなる。

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