残された時間を切り売りして働く人生からの脱却
便潜血陽性 大腸検査 [健康]
知らなかったPSA検査と前立腺癌のつながり [健康]
歯槽膿漏の悩みが解決 [健康]
母の胃癌発覚 [健康]
父の血尿 [健康]
オムツに血尿がついていたと母から聞いた。
最初発見したときは血の柔らかい塊だったとのこと。
原因を聞いてもわからない。
昨夜風呂場で滑って、横腹を打ったのが
原因だろうかと母は言う。
そのうち2、3日で終わるだろうと、おさまる
のを待っていたが量は少なくなったがまだ
尿に血に混じっている。
なにか原因があるはず、と行きつけの町医者に
診てもらうと、レントゲンにうっすらと尿管から膀胱の
入り口付近に直径4センチ前後の塊が写っている。
先生が答えるには、専門医に行って
詳しく見たほうがいいです。
もしかするとこの影は癌かもしれないですねとの事。
今まで父親を苦しめていたのは、脊柱管狭窄症という
症状で長く歩けないことだった。
農業現役のころから腰を酷使してきた生活環境の中、
母が夜、いつも父の腰にサロンパスを
貼ってあげていたのを覚えている。
水田や畑の見回りに近くを回って帰るのが精一杯
の状態で、車の運転も数年前にやめていた。
腰痛との付き合いは、父にとって今後避けられない
と本人も家族も観念していたが、
ここにきて大きな転機となってしまった。
九十才になって今まで全く予期もしなかった
癌が膀胱にできていたとは!
泌尿器科の専門医を尋ねたところ、膀胱摘出を
勧められたが、この年になって摘出は大変だろう
と断り、治療を受けないとなれば在宅治療となり、
母への負担が重くなるが、父は家方に居る方が
気が休まる。
我々子供たちは父の病状が気にかかり、
母の負担も心配になってくる。
そうこうしていたある日の夜、
「父ちゃんが苦しんでいる」と母から電話がかかり、
帰るまで時間がかかるのでとりあえず近くの
親戚に電話をして救急車を呼び、夜中に
病院に駆け込んだことがあった。
こんな苦しみはさせられないと、
もう一度断った先生に入院を願い出たが、
膀胱を取らない以上はうちでは
面倒見ることができないと言われた。
理由はこのままでは必ず尿管がふさがり
腎臓不全になるとのこと。
わかりやすく図解して下さりよく理解できた。
しかし、膀胱摘出は避けたい。
その後も、免疫治療を考えたり、癌に効く
漢方食品を取り入れたりの在宅治療がまた続く。
癌を発見して8ヶ月後、父の食欲が急に落ちてきた。
もう3日程になる。
近くの行きつけの医者に見てもらうと先生は、声を
唸らせ「腎臓の機能が良くない、すぐに
透析しないといけない状態だ」との事。
紹介状をもらって泌尿器科の専門医
の治療を翌日受けるようになる。
朝から検診が始まり血液検査、そして
尿検査と続く。困ったことに尿検査で尿が出ない。
父は絞りだすように息むが出てくるのは血液だけだった。
検査後の説明によると、とにかく透析が必要で、
直接背中から穴を開けて腎臓に管を入れるとのこと。
しばらくして先生からの報告があり、腎臓に針が
入らないということでこれは諦めるしかなかった。
次の日、足の付け根から入れるという。
今度はなんとかうまくいき、全血液の3分の1位か、
とにかく全部の血液を透析するのは無理がある
とのことであった。
一段落ついてその日は帰った。
次の日の朝、着替えを持って病院へいく。
しかし帰りに先生から呼び止められ、「昨夜、お父さんは、
息が上がり、血尿もあり、血圧が下がってしまい、
この状態だと透析は出来ない。
そして、この3日間どうなるかわからないので
親戚には知らせておいたほうがいいですね」と。
この日の夕方、近くの親戚の集まった中で
息を切らせながらの父だったが、最後の
言葉を交わすことができた。
いつかこの日がくると想像はしていたが、ついに現実となった。
多くの思い出、教訓を残してくれた父だった。
虫歯 [健康]
父の教訓
小さい頃から父親の好みにあわせてか
甘党に育った小生は、
回転まんじゅう、かき氷、羊羹、チョコレイト
キャラメルなどが大好物だった。
小学生の頃は菓子パンが好きで
よく夜食のとき食べていた。
そのためか虫歯に悩まされ
よく歯医者にお世話になった。
当時幼かった頃は、麻酔の技術も今ほどではなく
とにかく痛かった。
虫歯というくらいだから
磨かずにおいた歯は虫が住み着き
その虫が歯をかじっていくので穴が
大きくなってしまうくらいに
思っていた小生であった。
事実
物心着いた頃歯医者にお世話になったとき
奥歯にドリルを入れて穴を開けていく。
それは頭を突き抜けていくかのような
痛さで今もよく覚えている。
そして適当な穴を空けたかと思うと
今度はピンセットを突っ込みグルグル回し始めた。
これはもうあごがまるごと
削られてしまったのではないかと
錯覚するくらいの痛さだった。
そして
そのグルグルが終わると
いきなり引っ張り出した。
先生が言う
「ほら、こんな虫が歯の中にいたよ
これが悪さをしていたんだね」
とピンセットの先をおもむろに
目の前に持ってきた。
その先には細いミミズのような
糸くずのようなものが挟まっていた。
今になって思えば
それは虫歯から抜き取った
神経だったのだろう。
その痛みは今も
トラウマになって
歯医者にお世話になる時は
特に、歯を削るときは手に汗を握っている。
因みに、現在は技術が進み
あまり痛みを感ずることはないが・・・。
両親はやはり虫歯に
悩んでいたのであろう。
小生に小さい頃から歯磨き
をせんといかんと言い続けてくれていた。
しかし、どうも歯ブラシを
口に入れるとなんとか反応とかのために
‘オエー‘ となったり
歯磨き後の舌の味覚
が変わってくるのが嫌で
なかなか習慣にならず
今日に至ってしまった。
両親は共々総入れ歯で
特に父は入れ歯が合わず
固形物は噛めなかった。
最後の入れ歯を作ろうと
行きつけの歯医者に
頼んでやっとできた。
これから食事が楽しめると
思っていた矢先、病気が発覚し
入退院を繰り返すようになり
半年でこの世を去ってしまった。
とうとう新しい入れ歯は
使わずじまいで終わってしまった。
歯の健康は人生の健康
と言っても過言ではない。
「何事も気がついたときは遅い」
が口癖だった父。
自分は父が見せてくれた
ことを教訓に、歯磨きをしようと
やっと心がけることが
できるようになった。
チョボとトラ [ 癒しの猫]
実家に迷い込んで住み着いた猫が1996年、子猫を3匹生んだ。
あまり小生になれないまま育った母猫は、人目のつかない家の隅で子猫を育てていった。
子猫はこまめな世話をするうち、母猫と違って小生になついてきた。
しかし、事情により実家を離れるようになった小生は猫に関わることができなくなった。
一月に一度帰れればいいような状況で、子猫は段々成長していったが、母猫は事故で死んでしまった。
また、3匹の子猫のうち2匹は引き取られ、残ったのは白と黄土色のまだらの猫。
名前は父の命名でチョボと名付ける。
時が経つにつれ、この子猫は昔の面影がなくなり、なれない人間には恐れをなし人影を見ると逃げてしまう。野生味を帯び、裏庭に行っては木陰から雀を狙って捕まえてくる。よく母親のところにはその獲物を咥えてきて自慢そうにしているとのこと。
時が経って、そんな我が家にまた猫が舞い込んできた。
かわいい手のひらに乗る子猫で人慣れしている。寅年に来たから名前はトラと名付けた。
二匹になった猫は仲がよく育っていった。
チョボの方は、我が家で生まれてからもう20年になる。人の年齢に換算して見れば大方100歳か?そういえばだいぶ体が細くなってきたようだ。体も軽い、栄養が摂取できているのか不安にもなる。
この年では固形のエサを食べるのも大変なのではないかと、マグロ
とカツオのレトルトの餌を混ぜてあげるようにした。
ところがこのレトルトの餌をよく食べる! たまに帰ると、餌をねだりに来る。
今では、車の気配を感じるとどこからか姿を現す。満腹になると地面
に伏せて背中をさすって欲しいとせがんでくる。今では子猫の時に逃げ回っていた時と違って
年老いてからのチョボとは暖かい絆が結ばれている。
一方、トラはますます血気盛ん、木に登ったり家の周りを駆け回っている。
食欲も旺盛で、チョボが食べていると必ずどこからかやってきて喉を鳴らしながら食べる。
昔飼っていた猫は家の上に上げ、家族のように過ごしていたので、寝るときも一緒、
小生の部屋は屋外にあり、寒い冬などはいっしょに寝ようと戸口で鳴いて知らせる。戸を開け中に入れると、喉を鳴らしながら入ってきたものだ。
現在のスタイルは、毛が家の中に散らばると掃除ができないという理由から、原則上に上げないようにしている。昔の猫からすればスキンシップが足りないのが物足りない。
情の絆を結ぶ第一歩はやはり餌によるしかないのか。
昔は人間の食卓から残ったものをやっていたものだが、現在は犬と猫の
ペットフードなるものができて便利になったものだ。
犬と猫のフードの使い分けはどこに違いがあるのか、気になったりもする。
ドジョウの命 [生き物の強さ]
ドジョウの命
父と小さい頃よく近くの小川に
ドジョウすくいに行ったものだ。
竹を編んだ楕円形の籠を持って水草に覆われた幅
1メートル前後の小川の中をさかのぼりながら、
ドジョウの住んで居そうなところの先に籠を立てかけて、
その中にドジョウを足で踏みながら追い込んでいく。
小生はすくい上げたカゴの中からドジョウを拾い上げ、
ぶら下げているバケツに入れるという流れ。
籠を水からすくい上げてから泥水がかごの
隙間をぬって流れ落ちていくうちに、獲物の姿が現れてくる。
ドジョウをはじめ、フナやオタマジャクシ、イモリ等々、
今度は何が取れているか?
籠の中の泥水がはけるまでは何が入っているかわからない。
その瞬間に味わう興奮は今も脳裏に焼き付いている。
1時間もすればほぼバケツ1杯になる。
農作業の合間に、なんでそこまでやるのか、
ドジョウ汁を作る為である。
味噌味のドジョウのだしの効いたうどんは格別。父はそれが大好物だった。
その父も病に伏せ食欲も少なくなった。
秋も深まりつつある頃、父に元気づけのため、
従兄弟が父の為にドジョウを、養殖している店から買ってきてくれた。
母はさっそく料理にかかり、懐かしい香りが家中に立ち込めてきた。
小生もその恵みにあずかり昔を思いだした。父も同じではなかろうか。
昔と今を結び付けてくれるドジョウの命。
次の日、母が「あらま!ここにもう一匹いる」
ドジョウが流し台の穴に残っていたのだ。
生きている! 一匹だけを料理するわけにもいかず
どうしょうかな?
みんなでしばらく考えた末の結論は、
玄関にある金魚の水槽にとりあえず入れよう。
ということで食用から観賞用となったそのドジョウは、
今も元気で大きく育っている。
このドジョウの命は今後、
我が家庭に何をもたらせてくれるのか?
少なくとももう食べる気にはならない。
突然のぎっくり腰 [健康]
暑い夏の休日の早朝、田舎からもたった米の中に米食い虫がわいていたのを見つける。
早速ベランダにでて新聞紙を敷いた上にコメを広げ虫の選別にかかる。
黒い虫に集中して腰をかがめたまま約1時間。やっと選別が終わった。しかし、曲がった腰はまっすぐにできず、うつ向いた姿勢になって中腰のまま洗面所に行って顔を洗った。
そしてタオルで顔を拭き背伸びをした瞬間「グキッ!!」 腰に激痛が走る。おかしい!こんな痛みは初めて、しばらく腰を休めようと思って上向きに寝る。
そうだ、こういう時は温めたほうがいいかもしれないと素人判断で腰を温めてしまった。これが良くなかった。ますます痛みは強くなり寝返りさえもできず、ついには咳をすることも、笑うことも腰に響いてくる。クシャミなどはもってのほか。
夜になると不安が襲ってくる。体の自由がきかない、このまま寝たきりになるのだろうか?
大きな手術が待っているかもしれない。いや手術で治ればありがたい。
自由のきかない体になった人生に向き合わなければならないのだろうか?
今まで考えたこともないような思いが襲ってくる。しかしよく考えてみるとぎっくり腰で人生に支障をきたしたという話はあまり聞かない。大手術をしたという話もたまに聞くくらいだ。
妻に腰痛に関する本を買ってきてもらう。
その内容を食い入るように読んでいくとなんと80パーセントは手術なしに自然に治ると書いているではないか。自分が味わっている痛みを考えれば、書いていることは本当だろうか、信じられない。
しかしその言葉に頼るしかない。とにかく信じてみよう。
さっそく本の書いているような姿勢を保ち、休んでいると、3日後位から壁づたいにトイレに行けるようになった。一筋の明かりがさしてきた。
7日目あたりからなんとか歩けるようになり、痛みが引くまで一月あまり。
人間の体とは理にかなったことをすればこんな痛みも自然に治癒していくのか、心配は吹っ飛び、感動すらおぼえることができた経験だった。
後で考えると、そうなった原因は朝起床間際に虫を捕るためかがみこんだこと、そして痛み始めた矢先に腰を温めたこと、この2つが原因。
しろうとの考えることや、やることはなんと理にかなっていないものが多いことか。
この経験をもとに自分の体の仕組みや管理の仕方を学ばなければこの先どんなことがあるかもしれないと仕事の合間に整体の勉強を始めることとなる。